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神の御加護と皆様の努力のむすびあいによって、幸せ感ずる人生を歩んでいこうという意味合いでつけました
●誕 生
●祓 え
●親を択べず 子も選べず
●昼 と 夜
●生かされて生きる
●神 と 祖(おや)
●神 の 恵
●神 棚
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●誕 生
子供を生もうとすることは男女(子供ができて父と母となる)の意志と努力であったとしても、果たして生まれるか否かは我々人間の意志を超えるものであります。
また男の子、いや女の子というように望んでも望み通りにはなかなかまいりません。
我々人間の意志や行為や願望に、神の計らいがなされ新しい命が生まれてきます。
現代の我々は、とかく己自身で何事もできるように錯覚しがちですが、いかなる子供が生まれてくるか誕生するまでわかりません。
この人知を超えた働きを我々の父祖は素直に認め、子供は授かりものだと申してきたのであります。
新たなる生命の誕生には,産みなす生命力が必要であります。
我々日本人は、その生命力をむすひ(むすび)の神と称えてまいりました。
むすびの神の霊妙不可思議なお力を頂いて誕生したということで、「むす」の言葉を冠して、男の子をむすこ、女の子をむすめ、と悠久の古より言い伝えてきております。ここが、この国の素晴らしいところであります。
人の誕生には、通常二つの命が結ばれることが前提であります。
その二つの命のそれぞれには、悠久の命の流れがあります。
父母の命、祖父母の命、祖先の命、そして神々に通う命であります。
本居宣長先生は
世々のおやの御かげ忘るな代々のおやは己が氏神己が家の神
と詠じておられます。
命を産み、命を支え、命のもとこそは神なのであります。
それ故、最も近い親しい神こそは、親ということができます。
日本人は神を敬い祖先を崇めるという道を歩んで参りました。
この敬神崇祖の道を歩み、幸せ多き人生を歩んでまいりましょう。
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●祓 え
泥付きの大根を洗えばまっ白になるように、
私たち人間もお祓いをすれば、清らかな姿に立ち返ることができます。
もとより肉体そのものはすぐには変化はありませんが、
肉体に宿っている霊魂は変化があります。
霊魂が本来の働きをすれば、運や病気なども良い方に変化していくのです。
ここにお祓いの大きな一つの意義があります。
霊的に申せば、人は霊が止まっているという意味で霊止(ひと)といいます。一時的に霊が離れた場合、今話題になっている霊魂離脱や臨死体験を経験したりすることになるのです。
我々は、神と祖(おや)から霊を戴き誕生しました。
「ひと」という字の意味をわかりやすく書きますと、「霊止」(れいが止まっている)ということです。「火留」(ひと 火が留まっている。火が離れれば自然肉体は冷えて来ます)とも説明されます。霊が去れば、人は人でなくなるので、死ということになります。そこで葬儀をし、その霊を祖霊舎(未だ仏壇の家庭が多い)にお祀りしてきたのが日本人であります。
私達は生まれた時は清らかなのですが、肉体を持って生活しているので、いろんな垢を身につけてしまいます。
それが罪穢れとなっていろんな支障をきたしたりするのです。
罪穢れがあると見守ってくれている神様が離れてしまい、その結果よからぬことが生じたりしてしまいます。
そこで折節にお祓いをすることが必要になります。
神様が私達の為に伝えてくれたお祓いを受け、罪穢れを去り、よからぬ災禍から身を守りながら、自分のかけがえのない人生を意義あるものとしたいものです。
神社参拝、お祓いは幸多(さち)むすびの第一歩です。
人生を開くか否かは、あなたご自身の選択次第であることをお忘れなりませんように。
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●親を択べず 子も選べず
親も択べず、家も択べず、国も択べず生まれてきた私達。
自分の希望や力でしても、どうにもならない運命を宿命と言いいますので、まさに人生の出発たる誕生は宿命を負って生まれてきたというべきでしょうか。
親が子を選べないと同じように、子も又親を選べません。
いかに不出来な親や子であっても、親子の縁は切っても切れません。
もとより親も子も別人格ですが、いいことも悪いことも直接的な影響を受けます。
子の失敗が親に及ぶこと、見聞する通りであります。 ここに養育教育の重要さがあります。
また逆に、親の因果が子に及ぶということも見てのとおりであります。
子は親や親に連なる先祖代々の財産・徳・因縁・家風など、良きも悪きも自覚のある無しにかかわらず引き継ぎます。
人は皆等しく親と神から魂をいただいてこの世に誕生しますが、親の人となり又先祖代々のこの世に在りし時の生き方努力などによって、たぶんに運命づけられておるのであります。
惜しまれてなくなった人の場合と死んで喜ばれる人の場合では、あの世の霊生活も全然異なりますが、それと同じく、この世に誕生した人も、必然的に親や先祖の遺産を継承し、恩恵を受けたり悪影響を受けたりします。
たとえ本人が立派で申し分ない人であっても、親や先祖が悪行をなし人に恨まれて死んでいった場合など、努力や品行の割に悲運であったりすることなど、見聞する通りであります。
祖先の霊症を軽減し、悪影響を受けないで開運の道を歩む意味でも、正しき先祖祭と、この世あの世を司られる神々の御加護が大切であります。
神社参りは祖霊の霊症軽減、霊位向上の道でもあります。
宿命は宿命として受け入れ、心を広く大きく清く高めて、前向きに明るく生きたいものであります。
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●昼 と 夜
一日が昼と夜で形成されているように
この世は、目に見える世界と目に見えない世界で、一つの世界が形成されております
人間もそうであります
目に見えない世界(心・精神)を持ち、目に見える肉体で 行動します
心と体は不離一体であり、共に大事です
心配事があれば、なぜか体の方も元気がでてきません
心貧しければ素行もそれにともない下品となります
心いやしければ行動もそのようになります
目に見えない世界が目に見える世界に影響します
目に見えない世界も大切にし、開運の道を歩みたいものです
そのためには努力が必要です
心豊かになるように努めていますか
仕事に励み家庭を大事にしていますか
世のため人のために努めていますか
神さまにめでられるように努めていますか
神社におまいりし、ご神縁をかたく結んでいますか
家の祭をし、家の平安繁栄と祖先の安鎮を祈っていますか
神社には私達を見守って下さっている神々が祀られています
いつも見守って下さっている神々にお礼と感謝の誠を捧げ
幽界(あの世)からの御守護と、現界(この世)での努力をして幸せ人生歩みましょう
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●生かされて生きる
人生、一人で生きていくことはできません。必ず何かに、誰かに助けられて生きております。二三例をあげて考えてみましょう。
我々の生活の基盤である大地。
この大地無くして我々の生活は成り立ちません。生活できる人はおりませんですね。
次に太陽はどうでしょうか。
太陽の恵み無くしていかにして生活が可能でしょうか。
この天と地の恵あってこそ、生命を維持することができるのです。我々の力だけではなんともし難いのが天地自然という偉大な存在なのです。この一事だけでも、我々は生かされて生きているんだということがご理解いただけますでしょうか。
今度は体について考えてみましょう。
我々は生きております。
当然に呼吸もしていますし心臓も動いております。
心臓が停止すれば死んでしまいます。また呼吸ができなくなれば、この世の人ではなくなってしまいます。
このような大事な働きを、自らの意志で自らの努力で行っている人はいないでしょう。
呼吸は一時的にコントロ−ルできるかもわかりませんが、永続的には不可能です。心臓のコントロ−ルはそれ以上になかなか至難です。
心臓でも呼吸でも我々の意志や命令によって動いているのではありません。我々以外の存在によってであります。我々を活かしているところの二つの生命維持の機能すら、己れ以外の偉大な力によってなされているという事実に目を向けていきたいものです。
我々は生かされて生きているのであります。
このような人生観が確立してまいりますと、人間性豊かな人生の第一歩を踏み出すことができるのではないでしょうか。
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●神 と 祖(おや)
神さまを拝んで神様に習って歩む道を神道(しんとう)と申します
太古から今日に至るまで変わらぬ我々日本人の道であります
道ですから誰でも実践できるし実践する道であります
この道を実践してこそ我々に幸せが訪れます
神々は森羅万象全てを産みなし育み給うております
森羅万象一切の命の親が神であります
神々の恵み無くして生命を維持していくことはできません
我々が今ここにあるのは紛れもなく神の恵のお陰であります
産みの親をはじめ 大地や命の糧など ありとあらゆるものによって生かされて生きているのであります
我々は親から産まれてきました
親もまた親から産まれてきました
そのように遡っていきますと命の祖 神に到達いたします
ですから人は神の子だと言われるのです
神の子ですから 心素直に神々をお祀りし 報恩感謝の誠を捧げてきたのです
また我々は祖先をも祀ってきました
祖先なくして今日の我々はありえないからです
これが日本人の道であり繁栄の根幹であります
正しき方式でお祀りし 神の恵みと祖先の恩とに感謝し
神の子の自覚のもと心素直に明るく使命に生きたいものです
神から愛され御守護戴けるように 神社参り 神祭り〔神との縁むすび〕をして 幸せ人生歩みましょう
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●神 の 恵
神々の恵は これこそ神の恵なりと差し示すことができないほど広大無辺であります
行住座臥 常にその大なる御徳の中に居るためであります
神の産み給える国土に住み
神のなし行い給う四時昼夜の造化を蒙り
神の御霊になり出たる 万の物を衣食住の道に用い
生まれ出しより食うも便(た)るるも着るもかぶるも 神の恵に洩れたる事なく それが恒(つね)となり何とも思わなくなっておるのであります
よくよく考えてみたいものであります
たまたま狐狸蛇 不動明王 ○音などに願をかけて
そのようになったといってさわぐは世の人の常であります
幼子が両親の慈愛を何とも思わず
たまたま他人にお菓子の一つも貰えば ことのほか喜びて あのおばさまはよき人ぞと忘れないのと同じであります
両親の慈愛するところと 他人に菓子一つ貰いたると何れが大いなる恵みでしょうか 小児でないならばこの道理がおわかりいただけるでしょう
神々は森羅万象全てを産みなし育み 生きていく上に必要欠くべからざる衣食住始めすべてに恵み給うております
広大な神の恵みに感謝し 積徳の人生を歩みたいものです
神から愛され守られて 彌栄の道を歩みたいものです |
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●神 棚
家の繁栄は神棚よりといわれます
神棚の無い家庭は中心がない状態となりますので
家庭内が不安定な状態になりやすいようであります
家庭内暴力などおこる家庭はほとんど神棚がないといわれております またあってもほとんど手を合わせない家庭ともいわれます することをしていないので当然といえば当然ですが 最悪の事態になってからでは遅すぎる場合がありますので 神棚のないご家庭 敬神の念の薄いご家庭は良く考えていただければと思います
よく神棚を祭ると粗末にできないからといってお祭りしない方がおります
おかしな神を祭っている場合 祭事を怠り時に祟られる場合がありますので変な神を祭るのはよくありませんが
神社の神々は 祀ったはずの神棚からいなくなることはあっても祟ることはないのでしっかりお祭りしたいものです
(神棚はあるが 守護する神がいなくなり それでよからぬことが起きることは多々あります)
私たちは自分の力だけで生きているように考えがちですが
生かされて生きているのですから 神々の御守護を戴き よからぬ災禍を減じながら 心豊かな人生を送りたいものです
地域の守り神は神社であり 家庭の守り神は神棚であります
神棚にはお伊勢さんを初めゆかりの神々の御分霊をお祭りし神社参りと神棚拝礼 そして折節には神棚祭りもして お家の安泰と繁栄又御守護を祈りつつ 神から分霊を戴いた神の子として徳ある人生 意義ある人生を歩んでまいりましょう |
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