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●神道史の上に於ける篤胤の位地は一千年來の神道の衰を恢復興起せしめたるものとして空前絶後の偉人といふべき
●篤胤はわが神道史上空前絶後の偉人といはざるべからざる人なり。
●篤胤は實地の神道の上に於いて空前絶後の一大偉人たると共に神道の學問に於いても亦空前絶後の一大偉人なりといはるべきものなりとす。
『平田篤胤』山田孝雄著
偉大な足跡を残せし山田先生の言や重しといふべき。
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郷土の偉人、日本の偉人平田篤胤翁の分属図なり。この図を見て、神々の説明が出来ればいいなあ−。 |
●橘曙覧の歌 |
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これや此の 書(ふみ)看(み)ふければ 夜(よ)七夜(しちや)も
寝(ね)でありきとふ 神(かみ)の筆蹟(ふであと)
『橘曙覧全歌集』岩波文庫 二〇九頁
この歌を見て、何の本のことかわかれば通と言えるかも知れない。
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●むすびの神 |
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高皇産霊神は、男神に坐々て、産霊の外ッ事を掌坐し、神皇産霊神は、女神に坐々て、産霊の内ッ事をなむ掌給ふなる。
「古史傳一」『全集第一巻』104頁
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●先生の語録 |
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古ヘに無き事なりとて、粗略(おろそか)に思ひ奉るべきに非ず
神様に位階を授け奉る段に言及している中での先生のお言葉である。よくよく吟味する言葉であると思われる。
「古史傳一」『全集第一巻』117頁 |
●先生の語録 |
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▲人間相応の勤を第一にし、身の行を正しくして、死後には神になる様に、心を堅むるが肝要なり。(略)此國は佛國に非ず、神國にて、我も人も貴き神の末なれば、何でも神に成らむ、と心掛べき事なり。それは社々に祭りて在る神々にも、本は人なりしも多く、神は尊く佛は……(略)
坊主が改名付たればとて、天竺の佛の末でないから、佛には成らず、神の末なる故に、善くも悪くも神となるなり。其は桃實より桃木が生え、梅實より梅木の生ずる理に同じ。(平田篤胤全集九巻 仙境異聞下 仙童寅吉物語 二 五六三頁)
よく味わいたい先生のお言葉である。
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